前院長 藤原正博のコラム

前院長 藤原正博が在任中に書いたコラムを掲載しております。

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「早過ぎる死」「若過ぎる死」

 歌舞伎役者市川海老蔵の妻でフリーアナウンサーとして活躍し、乳がんとの闘病をブログで発信、大勢の人に勇気を与えて来た小林麻央さんが亡くなりました。34歳でした。

 乳がんは早期発見できれば治る可能性が大きく、10年生存率はStageⅠでは95.0%、StageⅡは86.2%ですが、転移のあるStageⅣでは14.5%と低く(全がん協のデータ)、他のがんと同様、進行した状態のがんを治すことは難しいのが現状です。
 がんの早期発見は「がんもどき」を見つけているに過ぎないと主張する近藤 誠氏のような方もおられますが、とりあえず乳がんは早期発見が可能ながんです。それも自分で触ることで見つけられるがんです。マンモグラフィーによる検診も行われていますがそれを過信せず(日本人、特に若い人は、乳腺が発達したいわゆる高濃度乳房が多く、乳がんを見つけにくいと言われています)、自分は大丈夫という思い込み・油断を捨てて、自分のオッパイに関心を持ちましょう。

 ところで若い方々が亡くなられると、よく「早過ぎる死」とか「若過ぎる死」というような言葉が使われます。じゃあ「丁度良い死」ってあるのでしょうか。

人間には寿命がありますから齢をとって亡くなる人が多いのは確かです。しかし、若い人であっても病気で亡くなる人はいます。小さい子どもであってもいわゆる小児がんに罹患し、亡くなることもあります。
 「早過ぎる死」あるいは「若過ぎる死」という表現で若い人の死を悼むのは気持ちとしては理解できます。でもその裏には、「死ぬのは齢をとった人」「若い人は死なない」「自分は大丈夫」という思いがあるのではないでしょうか。
 多くの方が、死は長く生きたその先にあるものと考えていらっしゃるかもしれませんが、けっしてそんなことはありません。若い世代であっても様々な病気で亡くなる人はいるのです。生と死は背中合わせであり、いつ死ぬかは誰にもわからないのです。

 私は血液内科医で造血器腫瘍の治療を専門としています。がんは一般的には高齢者に多いのですが、急性白血病という病気は比較的若い世代で発症します。中には10代、20代の患者もいます。人生これからなんだから、ここで途切れちゃダメという思いで、私は彼らの病気をなんとか治したいと努力してきました。しかし残念ながら全ての人の病気を治すというわけにはいきませんでした。苦しい思いをしながら亡くなっていった方がたくさんおられます。どうして? 人生これからなのに…。彼らの命を救えなかった自分へのふがいなさと合わせ、運命の理不尽さに涙を流しました。
 亡くなっていった彼らこそ悔しい思いをしたに違いないのですが、でもほとんどの方達が、私にとっては意外なほど冷静に自分のことを見つめていたような気がします。少なくとも主治医の前で泣き叫んだりして感情を露わにすることはなかったのです。どうしてこんなに落ち着いていられるの?と、私だけでなく病棟の看護師も驚嘆した患者もいます。自分のことよりも家族や友人、さらには病棟スタッフにまで優しい心遣いを示してくれた人もいます。今思い出しただけでも目頭が熱くなります。

 彼らを見ていて、私は死というものを考えざるを得なくなりました。確かに日本人全体の平均寿命は延びていて、100歳を超えて長生きする人もいる。でもみんながみんな長生きするわけではない。いつか必ずお迎えは来るし、若くして亡くなる人もいる。自分だっていつ死ぬかはわからない。それなら死ぬときに後悔しないよう、毎日を大事にしっかり生きよう…。そう心に決めて、ここまで来ています。もちろん私は聖人君子ではありませんから、実際に病気で死ぬということになったときにはジタバタするかもしれませんが…。

 多くの方が自分だけは病気にならない、自分だけは死なないと思っているように私には見えます。80代、90代の高齢者でも、まだまだ自分は長生きできると思っておられる方がいます。ここまで生きて来たんだからどうせならもっと、という思いなのでしょうね。中にはご本人はある程度覚悟ができているのにご家族が死を受け容れられない場合もあります。
長生きはめでたいことではありますが、いつか必ずお迎えは来るんですよ、と言いたくなることもあります。でもなかなか口には出せません。余計なおせっかいですもんね。

 死というものを考えるのは重っ苦しいし面倒なことであることは確かです。普段はよそに置いておいても構いませんので、何かの時に「あっ、自分もいつか死ぬときが来るんだな」と思っていただくと、日々何気なく暮らしていることのありがたさを感じることができるのではないでしょうか。

 「人生において重要なことは、いかに長く生きたかではなく、いかに日々を大切に生きたかということ」とどなたかがおっしゃっているようですが、そう考え日々実践していれば、何歳で亡くなったとしても、その人にとっては「丁度良い死」ということなのかもしれません。
 (平成29年7月6日)